情シス担当の備忘録

VBA・労働法とか。

【日常】はじめての救急搬送

去る令和3年11月25日(木)、人生で初めて救急車で運ばれました。

思い返せばその日は朝から体調があまり良くなかった。
私は疲労が溜まってきたりすると左耳に耳鳴りがすることがあるのだが、この日は朝から(起きた時から)人生最大級の耳鳴りがしていた。
まぁ、木曜日だったし、あと2日頑張れば休日なので普通に出勤した。
しかし、出勤してみると思いのほか体調がよくない。なんだがめまいのようなものがするし、左耳が詰まるような感じがする。頭がふらふらして、げっぷをしただけでもクラっとするような感じだ。トイレで大便を踏ん張っただけでも少しフラっとした。
結構ひどいので翌日に耳鼻科に行くことを決意。上司に翌日(金曜日)は病院に行ってから仕事に来る旨許可をとり、予定表に書き込んだ。
(今思えば、この判断はよくなかった。すぐにでもあがるべきだった。)

その後、残業があったので仕事を20時45分くらいに上がって車で帰宅。帰宅中(運転中)、めまいがどんどんひどくなり恐怖を覚えた。座っているのにめまいがするなんて。よく車庫入れできたものだと思う(私のボロアパートの駐車場は狭い)。
家に入り、今日はこのまま寝てしまおうと思い寝巻に着替えた時に強烈なめまいがした。足元がふわふわしておぼつかない感じ。壁に手をついていないととても歩けない。一度ベッドに横になってみたが、横になっていてもめまいがする(!)。こんなことは人生で初めてだったので「このまま寝たら死ぬかもしれない」と判断し、救急車を呼んだ。

幸運なことに10数分で救急車が到着し、また近くの大きな病院で受け入れ可能とのことだったので搬送され、治療を受けることができた。
点滴でめまい止めの薬を入れていただき、とてもよく効いた。
頭部のCT検査と血液検査を行ったが、原因は不明とのことだった。
深夜1時ごろ、医師から帰宅との判断を受けた。
めまい止めの薬を少し貰い、タクシーで帰宅した。
深夜だったが、上司に明日は出勤できない旨メールし、眠った。

我ながら不幸中の幸いだなぁと思うのは、コロナが少し落ち着いている今にぶっ倒れたことだ。もしもコロナ第6波の真っ最中に倒れようものなら、病院が僕を受けれ入れることは不可能だっただろう。


令和3年11月26日(金)
昨日救急外来で担当してくれた医師は早めに耳鼻科を受診するように言っていたので、さっそく家から近い総合病院の耳鼻科に向かった。
(昨日救急外来で運ばれた場所はいわゆる紹介状が必要な病院なので、いきなりは行かなかった)
医師からすると、めまいは色々な原因があるようで、すぐには病名などはわからないとのことだった。そりゃそうだろう。
ただ、聴力検査をしたところ、やはり左耳の聴力が落ちていた。
医師は様々な薬を出してくれた。どのように効くのかはもちろん理解しきれないが、言われたとおりに飲んでいる。

その夜、母から電話があった。話によると、私が一人暮らししているアパートの近くのスーパーまで仕事帰りに来たらしい(電車)。「欲しいものはあるか、それともこのまま一緒に実家に帰るか」ということだったので、実家に帰ることにした。私の実家は電車を乗り継いで1時間半ほどの距離のところにある。最低限の下着等をリュックに詰めて、私は母とともに実家に帰った。
実は母から電話が来る前に、実家に帰ってしばらくゆっくりしたいな、と思っていた。本当は車で迎えに来て欲しかったが、実家の車を点検に出していることを知っていたので、言い出せずにいた。
そんなところに、母が連絡もしていないのに来てくれた。
母は本当にすごいな、と思う。

そして、この記事を書いている令和3年11月29日現在も、実家で静養しています。いつまで仕事を休もうか。いくら有給が溜まっているとはいえ無限ではないし。最短で今週中に1度出勤、本命は来週から少しずつ出勤、大穴で年内いっぱい休む、ってとこかなぁと思っています。

何が原因なんだろうか。快方に向かうといいんだけど。

養生します。